11月11日(水)
朝

8時58分起床。
8時半に目覚ましかけたのに。
3回目のスヌーズで起きた。
父親がまだ寝ていたのでゆっくりお葬式の用意をしていたら妹から急かされた。
朝ごはんは食べずに葬式会場に向かった。
会場についてからは始まるまで時間があったので前日の分の日記を書いていた。
亡くなった祖母のご兄弟や親戚の方たちも前日と変わった様子はなかった。
1時間後くらいにお葬式が始まった。
前日と同じお坊さんがお鈴を鳴らしながら登場して、全員で合唱して一礼。
お坊さんがお経を唱え始めた。
何を言っているかはわからない。
しかし、祖母のために唱えてくれていることはわかる。
1時間くらいして枕経、通夜のお経、繰り上げ初七日のお経が終わって
お別れの儀式が始まった。
途端にみんな号泣しながら棺桶の中に花を敷き詰めていた。
2日前の私と同じだった。
最初みんなが盛り上がって話していたのは、
そうしていないと辛いから。
そしてその辛さは私なんかよりもずっと大きい。
私も何回か花を敷き詰めた。
祖母の顔に触れてみると氷のように冷たかった。
「ああ。もうここにはいないんだな。」と実感した。
私は祖母の顔に白い布をかける前に「ありがとう。」とだけ言った。
お別れの儀式の後、棺桶を霊柩車に運んだ。
私の一番上の兄を見ると泣いていた。
少し驚いた。
その兄は無愛想で祖母にあまり会いに行っていなかったからだ。
でも、兄は初孫ということもあって小さい頃よく祖父母にかわいがられていたことを考えると、
泣くことも当たり前だろうと納得した。
兄が祖父のお葬式でも泣いていたことを思い出した。
バスで近くの火葬場に向かった。
火葬場までは徒歩でも行けるくらいの距離だった。
火葬炉に入れる前に最後のお経が唱えられた。
お経が終わって火葬炉の扉が閉められていくのを見て、
また涙がこみ上げてきた。
昼
そしてまたバスに乗って葬式会場に戻ってお昼ご飯を食べた。
お昼ご飯は日本料理の弁当だった。
お造りや煮物、焼き物も入っていてどれも美味しかった。
だが、謎に入っているチーカマだけは苦手だった。
出されたものは全部食べる主義なので一応完食したが。
それから2時間ほど待ってから、もう一度火葬場に向かった。
火葬炉の扉が開けられると、祖母はもう骨になっていた。
みんなでつま先の方から順に骨壺に骨を摘んで入れた。
これで一連の儀式は終了。
私の母親と叔父さんはその後も祖母の家で残りの仕事をしていた。
家に帰った後は溜まっていた日記の続きをした。
夜
晩ごはんは父親と妹と3人で地元のお好み焼き屋さんで食べた。
いつも私はこの店でタコ玉とゲソ野菜炒めを注文する。
ゲソとタコが好きだから。
安定してうまい。
特にゲソがうまい。
食べながら父親に中国地方一周旅行の思い出の話をした。
最後の宿が一番高級だっただけに泊まれなかったのは少し惜しいが、
そんなことはみんなとの楽しい時間に比べれば誤差みたいなものだ。
まだしばらく遊べる時間はあるからまたその時楽しめばいい。
祖母の死を通じて感じたことは、
「ニュースで放送されていることも私が生きているこの同じ世界で起きている」ということ。
私は自分では祖母の状態についてわかったつもりでいたが、
心のどこかで「まだ大丈夫。」と現実に向き合おうとしなかった。
亡くなる直前、祖母はどれほど辛かっただろうか。
もっと早急に手を打つべきだった。
もっと感謝を伝えていればよかった。
これまで何度か祖母に感謝を言葉で伝えようと思ったが、
その度に「また次のときでいいや。」と後回しにしていた。
結局、そのことをあとから後悔している。
普段からちゃんと言葉にして伝えることの大切さを知った。
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